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【楽曲考察】「日々と君」と救いと情け

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あなたは経験したことがあるだろうか。日常生活で自ら発した言動で、自分自身が傷付いてしまうこと。


例えば、平気で嘘が付けるようになってしまった自分を、心の底から憎んだことだとか、どうしようもなく独りが怖くて、縋るものを欲した夜だとか。


筆者にはあった。とにかく怖くて、音も無く泣いた夜が。贖罪の念なのか、はたまた自責の念なのかはもはや自分でもわからない。たたどうしようもなく「苦しい」。そんな夜が確かにあった。何度も、何度も。


今から思えば、大抵の出来事は米粒の如く小さなものばかりだった。けれど、当時の自分にとって、それらの出来事はとても深く、重いものだった。弱かったのだ。耐えきれなかったのだ。心が。


「日々と君」は、そんな弱い人間の核心に触れる楽曲だと思う。

日々と君

日々と君

  • Mrs. GREEN APPLE
  • J-Pop
  • ¥250

Progressiveの中では一番ダウナーな曲調だけれど、歌詞はとても感情的だ。


日々と君 Mrs. GREEN APPLE 歌詞情報 - 歌ネットモバイル


嘘、傷、罪、消、逝、絶、痛…一部を切り取っただけでもこれほどまでに悲しい歌だ。
それでも“私”は救いを求めたのだ。口には出せずとも。

誰のせいとかではないよ
私のせいよ

自分のせいにしてしまうことはとても簡単だ。けれど、それで物事を解決させては誰の為にもならない気がしてならない。「情けが仇」になっていないだろうか。それは良いように言えば「お人好し」なのかもしれないが、結局は「偽善」に過ぎない、と筆者は思う。


自分語りで申し訳無いが、筆者はなんでもかんでも自分のせいにする人が大嫌いだ。筆者自身の自尊心が大きいのが問題なのかもしれないが、他人を庇って辛い思いをしている人を見ると何故かむしゃくしゃするのだ。自分に損しか無い事を引き受けて何が楽しいのだろうか。たった一度の人生なのに。たった一度のこの瞬間を生きているのに。


話を戻そう。この曲の中でも、特に印象的なのがCメロとラスサビだ。

また昨日と変われずに
傷つかせちゃう私が居て
変われない私が居ます
「助けに来たよ」

逃げたって変わらないし
悩んだって終わらないよ
貴方のその心は
そろそろ泣き止むべきだ
報われないことなんて
死ぬほど沢山在るよ
それに挫けないで
優しさを分けれる人になってね

この歌詞、「助けに来たよ」と言っておきながらも、その後の歌詞の内容は、見方によれば「説教」とも取れるものだ。


ここで「こんなの助けじゃないじゃん」と思った方、貴方は大きな勘違いをしている。


唐突だが、筆者の大好きなback numberから歌詞を一部引用したい。

もう少しだけ待っていればきっと
優しい誰かが肩を叩いて言ってくれる
頭抱えて待っているのは
もう答えなんかじゃなく
「仕方ないよ」の言葉だろう

信者よ盲目であれ」という曲の一節だ。言うなればこれが全て。
日々と君の場合、落ち込んでいるだけならまだしも、“私”は嘘をついているのだ。例えそれが誰かを庇うものだったとしても、嘘であることには変わりない。故に、大森元貴は説いている。無常観と人の在り方について。


人の振り見て我が振り直せじゃないけれど、今一度問うてみて欲しい。偽善を求めていないか。偽善を分け与えていないか。優しさを分けれる人でいてほしい。偽善と優しさは違う。それを理解ってほしい。


然すれば傷も癒えるだろう。明日に期待もできるだろう。それがもし、「あなたの優しさで救われるような世界」で無かったとしても。


それでは。